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2010.01.12 Tuesday山梨学院付属高校イレブンと横森巧監督が一体となって極めたてっぺん!
予報・・・「県中西部でも雪になりそう」
確かに言っていました。 しかし、いつものように高を括っていました。 「どうせ、周りの山が白くなる程度だろう」と。
お昼ごろから、目の前を白いものが舞い始める。 不意を衝かれた感覚がありましたが、すぐ思い当たりました。 「この雪は、全国高校サッカーで頂点に立った山梨学院の 優勝パレードを演出する天からの贈り物に違いない」
きのう、国立競技場で行われた全国高校サッカー選手権決勝戦で 初出場、初優勝という快挙を成し遂げた山梨学院付属高イレブン。 その優勝パレードが今日行われました。
残念ながら、きのう(決勝)も今日も現地ではなく、テレビニュース での参加(?)で、生で観た人はうらやましい限りです。
雪にもかかわらずパレードの沿道には大勢のファンが集まったとのこと。 ほとんどの声援は「優勝おめでとう!」であり「ありがとう!」だったことは 想像に難くありません。
山梨学院イレブンはもちろんですが、特にチームを率いた横森巧監督には 心よりお祝いの言葉を贈らせて頂きます。
国立で胴上げされる横森先生の映像。満面の笑みとともに左右の手のひらが 目一杯開かれ、胴上げする子供たちとまさに一体となって全身で喜びを味わって いるように感じられました。
「チームがまるかってこそ勝利を手に出来るんだ」 1980年代、横森監督が韮崎高校を率いて、選手権5年連続ベスト4以上、うち 準優勝3回という快挙を刻んでいた当時、監督自身が良く口にしていた言葉です。 (まるかるというのは甲州弁で「まとまる。束になる。→一体となる」の意)
当時、私はサッカー中継の取材者として横森監督の言葉を必死に書きとめていた ことを思い出します。
1982年(昭和57年) 国立の決勝で清水東に4-1で敗れ準優勝だった時も 記憶が定かではありませんが雨かみぞれの中、健闘を讃えるパレードが 行われたように憶えています。
横森監督にとって3度目の正直にならず、またもや準優勝だったあの清水東戦、 青島秀幸選手にハットトリックされる劣勢の中、後半20分過ぎ大歓声に迎えられて ピッチに立ったのが腎臓疾患のためフル出場がかなわない(医師からは一試合 15分以上のプレーはするなとの指示)羽中田昌選手でした。
私の大先輩である小松明美さんの著書「ゴールを狙え」にはこう書かれています。 『速いドリブルでゴールに疾走する並の選手と一味違うプレーはスタンドを大いに 沸かせた。決勝戦の実況を担当したNTVの舛方勝宏アナウンサーの 「羽中田は男だ。羽中田、打て」の名放送と共にいつまでも心に刻まれる 名場面になっている』
この後、バイク事故で脊髄を損傷しサッカー選手としての飛躍を断念した羽中田さん (去年まで四国社会人リーグ・カマタマーレ讃岐監督)にとっては、 このゲームがプレーヤーとしての最後のゲームでした。
あの当時、H2O(エイチツウオウ)トリオと呼ばれ全国に名を馳せた3人のFW (羽中田昌、保坂孝、大柴剛)をもってしても成し得なかった全国制覇。 その偉業を初出場で果たした山梨学院付属高校イレブンの戦いぶりは 実に見事であり、またさわやかで全国のサッカーファンに強烈な感動と 印象を残したことは言うまでもありません。
高校スポーツは選手の才能もだが、やはり指導者だと言われます。 横森監督の巧みな戦術と人心掌握術、そして時にマッチした指導力が 選手に浸みわたりチーム全体がまるかったからこその日本一!
全国4,175の参加校の中で唯一負けた涙を流せなかった山学高イレブン! そして、横森監督へ。 『悲願の 全国の てっぺん おめでとうございます!!!』
雪の白は、勝利をたたえる祝福の色 (^O^)/
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