2011.07.27(Wed)

山に佇む白い建像物?

はじめまして

今年の5月から甲府相川ケアセンターに入職した看護師長の名取と申します。

30年間の県立精神科病院での勤務を終え、新たに甲府相川ケアセンターで働くことになりました。

新鮮な気持ちで日々、入所者の方々と接しさせて頂いております。

 

甲府相川ケアセンターは甲府市の北部、塚原大嶽山(だいたけさん)のふもとに位置し、周囲には武田家ゆかりの歴史ある寺院や神社が数多くあります。

 

通勤を始めて2週間ほど経ったある朝の通勤途中、何気なく周囲の山々を見ながら車を走らせていると、今まで全く意識をしていなかった白い建像物が突然目に入ってきました。

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“何だろう”と車の速度を落とし、右前方をよーく見ると真っ白な”観音様”ではありませんか。

それは深緑の山の頂きに甲府盆地を見下ろすように厳かに佇んでいました。

 

まさかこんなところに、最近建てた訳ではあるまいし、いままでこの真っ白な像に全く気付かないまま通勤していたなんて、と思うと同時に”いったいあの観音様は何?”と気になってしかたがありませんでした。

 

県内にはいくつかの観音像が建立されていますが、この観音像のことは全く知りませんでした。

もともと”観音様”とは観世音菩薩のことを言うようですが、「観」はみること、ただみるだけでなくよく観ること、「世」は世間の世であり、世の中の意味です。

「音」は民衆の悩みや苦しみの声、救いを求める声という意味があるようです。

つまり、世間の私たち民衆の苦しみや、救いの声を聞きつけて馳せ参じる菩薩様ということです。

 

話しをもとに戻しますが、通勤途中で見つけたあの「白い観音様」について早速調べてみました。

昭和20年の甲府大空襲で最初に焼夷弾攻撃を受けたと言われる塚原町の住民が世の中の平和を願って、昭和57年に建立したのがこの「平和観音」像とのことでした。

 

空の色と同化してしまいましたが、ちょうど木と木の間に

                ↓↓観音様が位置していますP7220018_small.JPG

昭和20年の終戦から既に66年が過ぎ、当時を知る人がだんだん少なくなってきています。

今、この甲府相川ケアセンターを利用している方々は戦前、戦中、戦後の激動の時代を生き抜いてきた方々であり、彼らの大きな苦労の礎の上に今の平和があるのだと思わずにはいられません。

 

私たちの多くは、朝起きて会社に行き、仕事を終え自宅に帰り、夜寝て、また起きて会社に行くという日常を送っています。そんな平凡な生活の中に、いつも ”何だろう” ”なぜだろう” という問いかけをすることが重要であり、問いかけをするところから新しい発見が見えてくるのかも知れません。

 

2011.07.19(Tue)

被災地派遣を終えて・・・

 

1週間の被災地避難所派遣を終えて職場に帰還しました。

お前がいないからヴァンフォーレがガンバ大阪に勝ったんだと

仲間は笑っていますが・・・

 

震災から4ヶ月経ちましたが、

段差多くゆがむ東北道をはじめ軽々しく「がんばろう東北!」

などとは言葉に出来ないほど悲惨な爪痕が数多く残されており、

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(壊滅した駅周辺・左はガレキの山)

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(津波襲来後火災した水産加工場)

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(小学校の校庭には廃車の山)

復興には多くの労力と時間が必要であると感じました。

 

寝たきりの父親を助けたものの

自身は逃げ遅れ津波にのまれ亡くなった息子のことを語る母親

目の前で最愛の妻が津波にのまれたと語る夫

火の海の中で死を覚悟しながら必死に泳いで

命拾いしたという年老いた漁師さんの話

 

リアルすぎて言葉になりませんでした

 

避難所では秩序を保ちながら生活されていました

ただし、プライバシーなどはあるはずもなく

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(介護ブース)

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(中には寝たきりの方も)

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(体育館2階から)

 

多くの避難者がストレスを抱え

今後の生活に不安を感じているようでした

 

そんな中、日本全国から専門職が集まり

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(会議の様子)

避難者が健康に留意して過ごせるよう

一日に2回会議を行います

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(保健師による健康相談も)

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(壁には多くの張り紙)

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(自宅と同じ扱いなので通所に通う方も)

 

ブースに集い談笑しながら体操する高齢者

徐々に仮設住宅へ移ることが予定されています

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(介護職が仮眠した倉庫・四角いマットが横に地震が多く、何度目覚めたことか・・・)

 

一日何度か来られるボランティアの方

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(東京から来た美容師さん)

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(折り紙とピアノ演奏のコラボ)

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(ボランティア看護師さん「キャンナス」による経口補水液の作り方指導)

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(通路)

通路には多くの物資が山積み

被災地の実情に合った有効な物資を届けたいですね

 

本来であれば豊かな海産物で溢れる海沿い

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(焼け焦げて停留する船)

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(多くの建物が跡形もなく・・・)

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(傾いたままの家の下には大破した車が・水が復興を阻害します)

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(市場周辺・汚臭と共に漂う数多くのハエ)

 

 

うまく言葉には出来ないけれど

何も考えず阪神大震災時に炊き出しボランティアに

出向いた時には感じなかった何かを掴んで帰ってきた気がします

 

今回の派遣で学び得たことを職場に還元し業務に生かすことが使命でもあります

公私において「愛の防災部長」となることが出来るのでしょうか

 

いやいや入所者の皆さん、通所者の皆さん、地域の皆さん

安心して過ごしてくださいね

社会福祉法人山梨樫の会において、既に防災対策は万全ですので!

 

凪ぐ海に見守られ

被災した多くの町が活気を取り戻すことができますように

 

                                        凪

2011.07.05(Tue)

難行苦行

歓喜のJ1昇格を果たして数ヶ月

あいかわブログに帰ってまいりました!

 

何のために全国のスタジアムに足を運び歌い続けているのか

 

美味い飯を喰いたいからだけでもなく

公私共、蛇に睨まれた雨蛙状態だから叫びたいだけでもなく (笑)

 

本当の強さと優しさとは何か?

J1残留という目標の裏に

個人的な答えを探す旅に出続ける私です

 

今回の旅はお馴染みの福岡

いつものように夜通し運転し続け

関門海峡に佇む

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吊り橋・・・

 

ほどけてゆく大切な心を

繋ぎとめようとして

思いつくかぎりの言葉を

日替わりでぶつけていた

あの時を思い出す

 

手の届かない海峡の深い海の底に

失ったものがまだ光っている気がして

 

あぁ詩人だね

 

さて (笑)

何度も辛酸をなめてきたレベルファイブスタジアム

雑念は拭い去り選手と共に戦うのみ

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「俺達はここに来て 甲府の歌をうたう ゴールはいつだ 心躍らせ待っている」

・・・がしかし最下位福岡に初白星を献上

思い通りにはいかないものです

 

戦い終えた仲間とひとときの休憩

中洲→芋焼酎→胡麻鯖→モツ鍋→博多ラーメン→以下自粛

 

カプセルホテルで休憩後は観光もせず帰路に

 

さぁしばらくヴァンフォーレのサポートはお休み

 

宮城県気仙沼市の被災地避難所にしばらく赴くことになりました

避難所にいる要支援・要介護者への介護はもちろん

ご家族への支援も行うことが出来ればと考えています

 

このブログをお借りして後日報告できればと思っております

 

当たり前は当たり前でなく

当たり前という名の尊い日常なのでしょうね

 

限られた人生の中で

探し続ける答えを私は見つけることができるのでしょうか

 

喜びも悲しみも甲府と共に

 

戦いは続く・・・

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                           「愛の苦行僧」 凪