2011.09.21(Wed)

関東ブロック老人福祉施設研究総会 IN 高崎 ~記念講演は宇津木妙子さん~

 

9月6日、7日の2日間、「第47回関東ブロック老人福祉施設研究総会

群馬大会」が高崎市で開かれました。

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        ≪群馬音楽センター≫

 

テーマは「高齢者介護・福祉」新たな時代に向けて

      ~これまでにの10年、これからの10年~

1日目は全体会ということで、開会式典と講演各種、

2日目は分科会でした。

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このうち、1日目では、元女子ソフトボール日本代表監督

宇津木妙子さんの記念講演がありまた。

埼玉県生まれの宇津木さん、ソフトボールとの出会いから

オリンピックでの悲願のメダル獲得まで、いろいろなエピソードを

交えながらとにかく熱く語ってくださいました。

覚えている範囲で講演内容を・・・。

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演題   『夢と人生 ~何事にも真正面から向き合うこころ~』

足は村一番早かったという宇津木さんは中学1年の時にソフォトボールと出会い、

高校3年では「叱られ役キャップテン(ご本人の言葉)」に選ばれる。

持ち前の負けん気で一途に奮闘、インタハイ準優勝の祝勝会で初めて褒められる。

  教訓 「困った時、助けてくれたのは自分」

 

高校卒業後、社会人チームへ。レギュラーとりの苦労を味わう中、元気さを

徹底的にアピールして見事にレギュラーポジションを獲得し、その後13年間

キャップテンやコーチなどを経験し世界選手権出場に至る。

  教訓 「声かけはとても大事。相手の反応で好・不調が解る」

 

1985年日立高崎の監督に就任要請。その時の父、娘の会話。

  父 「選手時代は自分だけでいいが、監督は全体を見なければならない。

     いうなれば会社の社長だぞ。目標は、理念は何だ」

  娘 「3年間、見ていて欲しい。目標、理念は強くて愛されるチームです」

監督を引き受ける。

  ずっと大切にしている徹底事項 「あいさつ・時間を守る・整理整頓」

 

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1997年全日本監督に就任

2000年シドニーオリンピックで見事銀メダル獲得!!!

  「帰国後、周囲の世界が激変し、何故か親戚が突然増えていた。

  多分、なでしこJAPANも同じだと思う。」

2004年アテネオリンピックでは銅メダル獲得!

    ・責められる言葉が相次ぐ・・・・・全ては私の責任だ。

    ・シドニー後の環境の変化に自分を見失ってしまった。

    ・勘違い・・・格好付け

  教訓 「いい時、人は寄ってくる。悪くなると人は去る」

 

アテネの後、日本代表監督を退く。

日立高崎は、宇津木さんを慕って日本に帰化した宇津木麗華さんに

監督を委ねる。チームのエースであり日本のエースの上野由紀岐子選手

には常に「自分を見失うな!勘違いするな!」と言い続ける。

 

2008年北京オリンピック。

世界最速119km/hを投げる上野投手を中心の全日本チームは

決勝でアメリカを降し念願の金メダルを獲得する。

この時、宇津木さんはTVの解説者席で絶叫しながら選手一人ひとり

を称えた。

上野が胸の金メダルを宇津木さんに向けてかざし眼で告げてきた。

「とりましたよ。金メダル!」

 

今も毎日60分~90分走ることを欠かさない。

もちろん腹筋500回、腕立て500回もこれまで通り。

 「最後まで走り続けたい。一度しかない人生だから

 とことん付き合うしかない」

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こんな話もして下さった。

「シドニーの決勝でレフトに上がった打球をレフトの選手が足を滑らせ

 捕球できずに1点献上、同点にされ結局敗れた。

試合後トイレから出てこれないこの選手に「お前のせいで負けた」と

言ってしまう。本当は監督である自分のせいと解っていたのに。

その選手は現在ソフトの指導者として後輩たちに教えている。

しかし、キャッチボールはできない。ノックはできるが・・・。

グラブをはめてのキャッチボールは力が入り、手が震えてしまうという。

「言葉ってこわい」と宇津木さんは振り返る。

 

「人と向き合い、自分を伝えるために話し合う。

 自分をさらけ出し、分かり合いたい」

「支えあえる出会いに感謝」

 

今の夢は、ソフトボールをもう一度オリンピック種目に復活させること」

 

3月11日の大震災の後、強く思っている言葉がある。

「人生があるから夢があるんじゃない。夢があるから人生なのだ」

 

宇津木さん、おつかれさまでした。

ありがとうございました。

 

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